それは“頑張り過ぎないこと”
海を眺めながらふと思う。
こんなひとときも許せないぐらいストイックにカラダを追い込み、酷使していた自分がいた頃を。
あの頃は、カラダが動くからといって肉体の声を無視し続け、本質とは違う方向に進んでいました。
自分では気づくことのできない世界へと入り込み、無意識のうちに無理も続けていた。
その分、気が抜けた時に一気にダメージがやって来る。
痛み、倦怠感、苛立ち、不安、体液循環の低下、自律神経・ホルモンバランスの乱れなど。
関節の痛みはもちろんのこと、日々の緊張感からか偏頭痛もあった。
無理をすればするほど感情のコントロールが難しくなり、常に苛立ち、ふとした瞬間に涙した。
喜怒哀楽の中の“怒”と“哀”が表面上に強く出て、自分で自分をコントロールすることが難しくなった時期もあった。
今思えば、可哀想なことをしていたと反省。
それも体験したかったことだと言われればそれまでだが、今の生活と比べたら、あの頃には二度と戻りたくない。
似たような経験をしたことがある方や今そのような悩みがある方は、頑張り過ぎないでね。
て、言われてもなかなかしっくりとはこないと思います。
私もその当時は、誰に何を言われても分からなかったし、気づかなかったから。
ある程度の所まで行き切った時にRASと出会い、信じ込みの数々を外して今があります。
何が良い悪いではなく、自分のカラダに合ったもの(こと)をその時々で選択できれば、そのうちに自分から無理をして掴みにいこうとしなくても、必要なものとは出会い、愛は育まれていくのだと知りました。
否定も肯定もせず、何が正しいでも間違ってるでもない。
自分がフラットになるための環境を整えてあげるだけ。
他人を責めている暇があったら、自分と向き合う時間を増やす。
“人間は完璧な生き物ではない”からこそ、不完全な自分を許して、その周りにいる相手も許して、程良き距離感で共存し合えたらいいよね。
まだまだ!ではなく、たまには頑張ってる自分を認め・受け入れ・愛でてください。
自分を大切にできない人に、他人を大切にすることはできないと思うので。